人とお酒をつなぐサイト SAKEDORI に、代表 中村大航のロング・インタビューが掲載されました。
洋酒業界の最前線で活躍している人々へのインタビュー特集「Cutting Edge」の第一弾として、取り上げていただきました。
静岡蒸溜所の建設予定地にて数時間かけて行われた撮影とインタビューが、前後半の2回にまとめられています。ウイスキー製造を決意した動機、ガイアフローの経緯、そして中村のウイスキーとの関わりなど、多岐に渡った内容が余すところなく収録されています。
盛りだくさんの内容ですが、ぜひご一読ください。
静岡蒸溜所 ガイアフローディスティリング中村大航氏 独占インタビュー 第1回 その夢のカタチ
第1回 その夢のカタチ
SAKEDORIが発信する、洋酒業界の最前線で活躍している人々へのインタビュー特集「Cutting Edge」。そのスタートとなる第1回目は、いよいよ着工が始まる静岡蒸溜所をフィーチャー。
日本国内のウイスキーファンはもちろん、海外からも注目を集めている静岡蒸溜所は、来年2016年の蒸溜所始動に向けて、着々と準備が進められています。そこでSAKEDORIでは、Malt House ISLAYのオーナー鈴木勝雄氏をインタビュアーに迎え、ガイアフロー(株)代表 中村大航氏への独占インタビューと現地取材を行いました!
静岡蒸溜所の建設に至る経緯とは?蒸溜所建設地の環境や設備は?中村社長ってどんな人?
全2回のインタビュー特集。第1回は、蒸溜所建設に至る経緯や現地の環境、蒸溜所設備について伺います。
新蒸溜所建設のきっかけはアイラにあった
鈴木氏「まず初めに、そもそも蒸溜所建設を志したきっかけは何だったのですか?」
中村氏「もともとウイスキーが、シングルモルトが好きで、ボンヤリと頭の中に製造に携わってみたいという想いがありました。でも、それはシングルモルトファンなら誰もが一度は想い描く絵空事のレベルだったんですよね。ところが、2012年6月のスコットランド旅行でアイラ島を訪れた際に、一気に現実味を帯びてきました。」
-中村氏はアイラ島で何を見たのでしょう?
中村氏「旅行中、できるだけアイラ島の蒸溜所を見て回ろうと思っていました。ご存知のようにアイラ島の蒸溜所は海沿いに建っているのがほとんどです。私もボウモアやアードベッグ、ラガヴーリン、ラフロイグ等を見て回り、その歴史の重さと重厚さに圧倒されました。
そんな中、1つだけ意外にも山奥に建つ蒸溜所がありました。キルホーマン蒸溜所です。そして、その小規模でハンドメイドなスタイルの蒸溜所の様子に驚き、また同時に、この規模で世界中に名を馳せるウイスキーを造ることができる事実に愕然としました。失礼ながら『あれ、これなら自分にもできるかもしれない』と思ったのです。」
そして、中村氏は帰りのパリで更に蒸溜所建設の確信を得ます。
中村氏「スコットランドの帰りにパリに立ち寄りまして。そこで歴史あるブランド・ショップに行列する人々を見て、伝統的なものや文化に裏付けられたものならば、必ず人々から求められると感じました。そして、キルホーマンのように小規模なハンドメイドで造られたウイスキーでも、少しずつ歴史を積み重ねていくことで世界に認められるウイスキーになり得る。それは日本でも充分に可能であると、パリから日本への帰路の機内で確信したのです。」
蒸溜所建設地の決定のポイント、豊かな自然が織りなす周辺環境
鈴木氏「実際に蒸溜所の建設用地を決める際に、特に重要視したポイントはありますか?」
中村氏「やはり、一番は自然ですよね。気候もそうですし、水が美味しくなくちゃいけない。この玉川地区は、すぐ隣を安倍川の支流が流れ、山と緑に囲まれ、気候も穏やかで安定していることもあり、製造や熟成に最適だと直感しました。
実は、2013年初めぐらいから蒸留所建設用地を探していたんです。蒸溜所の準備にあたっては、土地探しが一番時間がかかるだろうと考えたので、最も早めにスタートさせていました。日本各地から候補地のオファーは来ていたのですが、なかなか『ここは』と言うところが無くて。」
鈴木氏「土地選びは重要でしょうから、難航したのですね」
中村氏「ええ。そんな中、昨年6月にAOIビールさんのご紹介で知り合った商業用地の仲介者から、静岡市の玉川地区の約20,000㎡を紹介され、全てにおいて条件が合ったので一気に動き出しました。
この土地は、もともと静岡市の所有する土地で、その利用方法について何度も案が出ては消えていた土地だったんです。そのことから幸いにも静岡市のバックアップも受けられることになり、先日の発表(3/30)になったわけです。」
-今回、建設用地周辺を見た鈴木氏は、中村氏と同じ感想を抱いたようです。
鈴木氏「現地を見させていただきましたが、新東名の新静岡ICから車で安倍川沿いに上がって行って20分ぐらいでしょうか。川沿いを進み、途中緑が濃くなる所もあって、一瞬スペイサイドの道を走っているように錯覚しました。」
中村氏「そうなんです!私も初めてこの土地を訪れる際に、スペイサイドの風景を連想しました。建設用地の隣を流れる安倍川の支流は、元の流れは建設用地を迂回するように流れていたのですが、現在は工事によってまっすぐに流れています。もともと河原だった場所ですから、井戸を掘ってみると直ぐに豊富な水源にあたりました。硬度は79ぐらいです。支流自体は中河内(なかごうち)川というのですが地元でもあまり呼ばれていないようです。」
鈴木氏「標高はどのぐらいになりますか?」
中村氏「標高は190mくらいですから、山間地とはいってもさほど高くはないですね。また、ここは川から風が1年を通じて一定方向に吹いていることや、静岡県が寒暖差の少ない土地であることから、安定した気候の中で熟成できるものと考えています。」
まさに、中村氏の想い描く蒸溜所にピッタリの夢の土地だったんですね。
静岡蒸溜所の具体的な規模とは
-静岡蒸溜所は、どのような設備で稼働するのでしょうか? そして気になる軽井沢蒸留所の設備は…
鈴木氏「今秋着工、来春には完成予定と合っていますが、当初の蒸溜設備や規模はどのように計画しているのですか?」
中村氏「9月に地鎮祭があり、実際に工事が始まるのは10月でしょうか。ちょうど中央に大きな岩盤があるので、その上に蒸留棟を建てる予定です。そして、その後方にウエアハウスを一棟建て、完成予定は来年3月です。将来的には、ビジターセンターや駐車場も完備します。」
鈴木氏「今年の2月に、御社が軽井沢の設備一式を競売で落札したというニュースは、私のみならず国内外のウイスキーファンを大いに驚かせ、大変な話題になりました。ポットスチルや設備などは軽井沢のものを利用するのでしょうか?」
中村氏「軽井沢蒸留所の蒸留設備を落札したのですが、残念ながら実際に使えるものは少ないんです。ポットスチルは銅がかなり薄くなっていて、部分的に1mmを下回る箇所もありました。使えるのは再留釜1基だけですし、ウオッシュバックもかなり老朽化が進んでいて、これはオレゴンバインで新調するつもりです。マッシュタンも作ることになると思います。
軽井沢蒸留所の設備では、ポーティアス社のモルトミルがあって、これは掘り出し物でしたね。もう新品は手に入りませんし、中古も出てくることは望めませんから。
ポットスチルは、ブラックアダー社のロビン・トゥチェック氏と会った直後から、『スコットランドのフォーサイス社は予定が詰まっていて納期に時間がかかるから早くオーダーしておいた方がいい』とアドバイスを受けていましいて、これだけは2013年5月にオーダーしていました。
これが2016年秋から年末までには到着する予定です。
それらとは別にドイツのアーノルド・ホルスタイン社から1,800Lサイズのハイブリッドスチルが届きますので、まずは軽井沢蒸留所のポットスチル1基で初留を、ハイブリッドスチルで再留する方法を考えています。もちろん逆もありますが。」
錠木氏「生産規模は、どの程度を予定しているのでしょうか?」
中村氏「フォーサイス社にオーダーしたポットスチルは初留5,000L,再留3,500Lですから、一回のマッシングは1トンで約5,000Lの麦汁を取り出す予定です。当面はこれを2回に分けて軽井沢のポットスチルで初留、これを合わせて、ハイブリッドスチルで再留してみようと思っています。」
鈴木氏「原材料のモルトは輸入ですか?また、ウイスキー以外のスピリッツについてもお考えなのでしょうか?」
中村氏「まずは輸入麦芽を使いますが、将来的には地元産の大麦を使用しての製麦も考えています。スピリッツについては、グレーンウイスキーやジンにも興味はあります。実際、最初はスピリッツから造ろうかと考えていた時期もありましたし。
ですが、やはり、まずはモルトウイスキー造りに専念してモルト原酒のストックをなるべく多く蓄えたいと思っています。
地元産と言えば大麦もそうですが、発酵菌についても地元の吟醸酒で評価の高いものがありますから、AOIビールさんや静岡県内の日本酒蔵元とのコラボも考えています。」
-オール地元静岡産は、まだまだ先、夢の話と語る中村氏。ですが、その想いは必ず実現させたいと考えているようです。
次回の第2回では、中村氏とウイスキーの出会い、その魅力に惹かれていった経緯などプライベートなお話も伺います。
また、静岡球溜所が目指す地域密着型の姿や、今後の展望についても伺いました。第2回も、ぜひご覧ください!
静岡蒸溜所 ガイアフローディスティリング中村大航氏 独占インタビュー 第2回 その夢と挑戦
第2回 その夢と挑戦
SAKEDORIが発信する、洋酒業界の最前線で活躍している人々へのインタビュー特集「Cutting Edge」。前回に引き続き、ガイアフローディスティリング株式会社代表取締役 中村大航氏への独占インタビュー第2回!
ガイアフロー社設立の経緯や、中村氏とウイスキーとの出会い、その魅力に惹かれて静岡蒸溜所建設に至るまでの経緯など今まで伺うことのなかったプライベートな部分にも触れていきます。
ウイスキーとの出会いとモノ造りのDNA
鈴木氏「引き続き、よろしくお願いします。中村さんがウイスキーと出会ったのは、いつ頃だったのでしょう?」
中村氏「うちは祖父が始めた精密機器を製作する会社をやっているのですが、父がウイスキー好きでして。子供の頃から、父が東京に出張すると、帰りに八重洲のリカーズハセガワさんで、珍しいウイスキーを買ってくるのを見ていました。それで自然にウイスキーが身近にある環境で育ちましたね。」
鈴木氏「ご自身がウイスキーに魅了されていったのは、どのような経緯だったのですか?」
中村氏「ちょうど大学生で都内にいた頃にバブル期で、社会人、主に今でいうIT関係の人たちとの付き合いが多かったんです。そんな中であるイタリアン・レストランのオーナーに、モルトウイスキーのテイスティング会に誘われ、シングルモルトの魅力に目覚めました。Barに通うようになったのは20代からですが、シングルモルトを深く掘り下げて飲むようになったのは30歳の頃でした。
2003年に余市の「マイウイスキーづくり」に参加したのも、ウイスキーに深く傾倒するキッカケでしたね。」
錠木氏「飲み手としては長いキャリアをお持ちですが、それを仕事にしようとしたきっかけはあったのでしょうか?」
中村氏「30代中頃には静岡県内の日本酒蔵元等も訪ね、あらゆるお酒を深く味わうようになりましたが、やはりモルトウイスキーが最高だな、と思うようになりました。
同時に父を継いで家業の精密機器の仕事にずっと携わってきたこともあり、文化的なもの、それは、お酒も含めてなのですが、そうした受け継がれていく伝統的な物事が、これからの日本人には必要だと思うようになりました。また同時に、日本のお酒を海外に広める仕事に自分の夢があると感じるようになりました。それで2012年にガイアフローを立ち上げ、一度は引退した父に元の会社の社長に復帰してもらいました。」
-幼い頃からウイスキーに触れる機会に恵まれていたこと、家業である精密機械業からモノ造りの素晴らしさを知っていたこと。これら全てが、中村氏をウイスキー造りへと駆り立てる原動力であり、ウイスキー造りは必然だったのかもしれませんね。
ガイアフロー社設立と業界参入 − 初めから蒸溜所建設があった
錠木氏「中村さんと最初にお会いしたのは、3年程前のウィスキー・フェスティバルの会場だったと思うのですが。」
中村氏「2012年のウィスキー・フェスティバルの会場ですね。マックミラとボックスで出展していました。あの時が業界デビューです。」
鈴木氏「ガイアフローという社名は少々変わっているな、という印象ですが、どういう意味が込められているのでしょう?」
中村氏「会社自体は2012年1月に設立したのですが、実は、この時は再生可能エネルギー事業が主事業でした。それでガイア(地球)とフロー(流れ)と言う意味で付けたのですが、自然が醸し出すモルトウイスキーのようなお酒にも当てはまるかなと思ったのです。」
鈴木氏「そこから、どのような経緯でウイスキー事業を始めたのですか?」
中村氏「先程お話したように(第1回)、アイラ島へ行ったことが一番のきっかけです。久しぶりにヨーロッパへ行くことにしたのですが、その頃には、もうウイスキーファンでしたから、念願のスコットランドも訪問しようと考え、やっぱり行くならアイラ島だと考えました。」
-それはまさに偶然がもたらした運命的な出来事になったようです。
中村氏「アイラ島で、マイクロディスティラリーなキルホーマン蒸溜所を見て、頭の中に想い描いていた『いつかウイスキーを造ってみたい』という想いが現実的なものになり、蒸溜所を建設する決心をしました。それから、まずは業界との繋がりを持ちながら建設計画を進めていこうと考え、まだ日本に輸入されていないモルトウイスキーや蒸留酒を輸入するインポーターとして業界に参入しました。
実は2012年12月のウイスキー・フェスティバルに出展した時は、まだマックミラ蒸留所との契約も成立していませんでした。ですが、とにかくすぐに動きたかった。それで、契約も成立していないマックミラのサンプルを抱えて、右も左も分からないまま出展したんです(笑)
その後、2012年の9月にブラックアダーのロビン・トゥチェック氏と会って、翌年4月からブラックアダーの日本正規代理店としてスタートしました。そして夏頃には現在扱っているブランドが次々と決まり、インポーターとしての体制が整ったので、本格的な蒸留所建設用地の検討を始めました。」
-決心をしてすぐに行動した中村氏。その人の想いが強ければ自然と必要な人やモノ、情報が集まってくることを耳にしますが、まさに中村氏にも、そのようなが事が起こり始めていきます。
中村氏「ロビン・トゥチェック氏と出会い、アドバイスを貰って(第1回)から、まだ蒸溜所建設予定地も決まっていないうちにフォーサイスにポットスチル製造依頼をしたんです。これが2014年5月でした。
実は、ある方からもアドバイスを頂いていました。その方から『中村さん、蒸溜所を建設するならパラレルで動かなきゃ進みませんよ。1つ1つクリアしていこうと思ったらダメなんです』と仰っていただいたんです。ベンチャーウイスキー秩父蒸溜所の肥土伊知郎社長です。
軽井沢蒸留所の設備についても、業界を通して知り合った方から、こういった競売があると教えていただきました。また、地元の多くの皆さんの協力もあり、静岡市所有のこの土地に建設することになったことで、静岡市との協力体制が確立されました。マッサン効果もあったでしょうし、観光産業としても市や地元からの期待も大きく身の引き締まる想いです。それにしても、当初は、まさか市長と記者会見するなんて思ってもみなかったことですね(笑)」
静岡蒸溜所が目指すウイスキー、そして中村氏の挑戦
鈴木氏「中村さんが目指すモルトウイスキーはどんな感じのものでしょうか。」
中村氏「華やかさと程よい質感がバランスした、ハイランドモルトのようなものができるといいですね。そして、まずは地元の方に愛されるウイスキーにしたいと考えています。そしてやがて国内外で愛されるような。蒸溜所名も静岡蒸溜所とするつもりですから、シングルモルトも”シズオカ”にしたいと思っています。」
-具体的な銘柄が気になりますよね。
中村氏「具体的な銘柄は明言しないほうが良いでしょう。まだ未知のことですし、楽しみでもありますからね。」
鈴木氏「その他に、どのようなことに挑戦しようとお考えですか?」
中村氏「先程も触れましたが、地元の蔵元やAOIビールさんとのコラボは考えています。将来的にすべて地元静岡産の原材料でと考えているのも、故郷・静岡にこだわりたいという想いからです。同時に、私自身が様々なことに挑戦したい性格なんですよね。例えば、静岡茶で何かできないか?みかんで何かできるだろうか?…なんてことも考えたりしています。」
ガイアフローの取扱商品について
-最後に、現在ガイアフロー社で取り扱っている商品についても伺いました。
錠木氏「すでにガイアフロー社では江井ヶ島蒸溜所の”あかし“や、アスタモリスから東海道五十三次ラベル等をリリースしていますが、それらは中村さんの企画ですか?」
中村氏「そうです。”あかし”については第一弾で共同企画だったのですが、それ以降は私の方でやりました。東海道五十三次ラベルについては、静岡に縁があるかなと思ったからです。他にもアイディアはいろいろあるのですが、目下は蒸留所建設で手一杯でしばらくは手が付けられない状態です。」
-ガイアフローでは、その他にも様々なワールドウイスキーを取り扱っていますが、それらに着目した理由は何だったのでしょう?
中村氏「業界に参入したとき、ご存知のようにスコッチウイスキーは既に販売元が決まっていますから、他に何かないかと考えました。そして世界に目を向けると、各地で様々なクラフトウイスキーが造られていて、それが面白かったんですよね。『世界には、まだまだ面白いウイスキーが沢山ある』そのことを日本の皆さんへ紹介したかったんです。とは言え、当社もまったくの無名でしたし、ワールドウイスキーが面白いといっても、軽い興味だけで終わってしまいなかなか売上につながらず苦しい日々を過ごしました。業界参入と同時に蒸溜所建設計画も進めていましたから、販売戦略や広報が追いつかなかった、というのもありましたが、とにかく当時は手一杯でした。ようやく知名度が上がって販売が軌道に乗ってきたのも、ここ1年のことです。
アスタモリスの東海道五十三次ラベルや、エルドヴァッテン、江井ヶ島の”あかし””桜”といった商品が皆様からご好評いただき、大変ありがたく嬉しく思っております。他にも、まだまだアイディアはあるのですが、まずは蒸溜所建設ですね!」
鈴木氏「今日はありがとうございました。新しい蒸溜所、そして素晴らしいシングルモルトウイスキーに期待しています。」
中村氏「蒸溜所が出来ましたらまたぜひ見に来てください。北海道の厚岸(あっけし)蒸留所も同時期に完成、操業すると思いますので、日本のウイスキーはこれからもっともっと面白くなっていくと思います。」