2016年4月27日 Bloomberg GLOBAL FINANCE
国産ウイスキー 秩父の大麦で挑戦
秩父山地を望む丘陵地帯に青々とした大麦畑が広がる。栽培されているのは、明治時代に初めて欧米から導入された醸造用大麦を起源とする「ゴールデンメロン埼玉1号」。戦後から1970年代まで生産され、その後は保護のために埼玉県が遺伝資源として保管していたものを秩父市の農家、坪内浩氏(36)が譲り受け、今年から有機栽培に挑戦している。
丈は6月上旬までに60センチを超え、収穫後は近くの工業団地にある国内唯一のウイスキー専業メーカー、ベンチャーウイスキーの倉庫へと移される。順調にいけば、大麦は数カ月寝かされた後、水に浸して発芽させて麦芽(モルト)となり、1年以内には蒸留されウイスキー原酒となる。数年後にはこの畑から世界の愛好家が熱望するプレミアムウイスキーが生まれるかもしれない。
ならではの個性を
2000年代に入って数々の国際コンペティションで入賞し世界の五大ウイスキーの一つに数えられるようになったジャパニーズウイスキーの原料のほとんどは、モルトとして英国など欧米諸国から輸入されている。ベンチャーウイスキーも英国産とドイツ産を購入しているが、将来的には地元産を10%程度利用することを目指している。
ベンチャーウイスキーの肥土伊知郎社長(50)は、外国産に比べコストが5倍の地元産モルトを使ってウイスキー作りに挑戦する理由について「自分なりにいいスピリッツ(蒸留酒)を生産し熟成させていこうと思う中で地元産原料を利用しようと考えた。地元の環境を生かしたものを積み重ねていけば、10年、20年たった時に秩父らしいウイスキーにたどり着くような気がする。秩父ならではの個性を持てた時に本当の意味で世界に通じるウイスキーになると思う」と語る。
04年に同社を創業した肥土社長の実家は1625年から続く日本酒の造り酒屋だった。祖父が創設した東亜酒造が1980年代にウイスキー製造の羽生蒸留所を設立。肥土社長は営業マンとして勤務していたサントリーを95年に退社後、入社した。
ところが90年ごろから始まったウイスキー不況のあおりを受け、同社は2000年に民事再生法の適用を申請。父と祖父が造ったウイスキー原酒400樽は廃棄されることとなった。同社長はこれらの原酒を福島県の笹の川酒造の協力で貯蔵してもらい、その後、自身で引き取って商品化した。
07年に現在の場所に秩父蒸留所を建設。社員数14人と小規模ながら、今や世界のウイスキー愛好家が最も注目するジャパニーズウイスキーメーカーの一つだ。羽生蒸留所で造られた原酒などを使って同社が製造した「イチローズモルト」は06年に英専門誌「ウイスキーマガジン」のプレミアムジャパニーズウイスキー部門で最高得点を獲得。これをきっかけに海外で評価を高め、15年8月に香港で開かれたオークションでは、瓶のラベルにトランプの図柄をあしらったカードシリーズ54本セットが380万香港ドル(現在のレートで約5300万円)で落札されるなど、コレクターから熱い視線が注がれている。
国内外で需要拡大
ベンチャーウイスキーが創業から10年余りで世界に名だたるメーカーとなった背景には、ジャパニーズウイスキーの国内外での旺盛な需要がある。財務省の貿易統計によると、ウイスキーの輸出額は15年、前年比77%増の約103億7800万円と過去最高に達した。05年と比較すると11倍余りに増えた。3月に国税庁が発表した統計によれば、ウイスキーの国内消費量は14年度に11万8000キロリットルと前年度比で9.5%増加した。
大手メーカーは値上げや輸出抑制などで需要拡大に対応している。
国内最大手のサントリーホールディングスは急激な需要増に対する需給バランス調整と、10年以降120億円の設備投資を行って製造コストが増えたことから、今年4月に一部のウイスキーの価格を最大25%引き上げた。ニッカウヰスキーを傘下に置くアサヒグループホールディングスは安定供給に向けて今年の輸出目標を14万5000箱と、昨年の実績18万3000箱から引き下げている。
ウイスキーの国内市場はサントリーとニッカの大手2社で約9割を占め、地ウイスキーメーカーは十数社にとどまる。そのうちの大半は清酒や焼酎を主力としているが、旺盛な需要を背景にウイスキー専門の蒸留所の設立が相次ぐ地ウイスキーブームとなっている。これらの蒸留所に共通しているのは地元産原料へのこだわりだ。
ガイアフロー(静岡県静岡市)の蒸留所は7月に完成予定。製造開始は10月で、最終的な目標は年間10万リットル。初年度はスコットランド産輸入モルトを利用するが、地元農家が既に昨年11月からモルト用大麦の栽培を開始している。中村大航社長(47)は「ゆくゆくは水、酵母、大麦すべてが静岡産のウイスキーを造りたい」と語る。
堅展実業(東京都)は国内メーカーから原酒を購入して輸出していたが、ウイスキーブームで原酒を確保できなくなり自社で製造することにした。北海道東部の厚岸郡で建設中の蒸留所で10月から蒸留をスタート予定。最初は輸入モルトを使うが、将来は地元産の利用も考えており湿地のピート(泥炭)も活用してスモーキーな味わいを目指すという。
安定した品質保つ
愛好家でつくるウイスキー文化研究所代表で「シングルモルトウイスキー大全」などの著書があるウイスキー評論家の土屋守氏(62)は、コストと合理性を追求する大手メーカーと差別化するため地元産原料にこだわるクラフトブームは欧米でも見られると言う。しかし、日本の場合は原料コストが諸外国に比べ高いことと、小規模メーカー向けに大麦をモルトに加工する製麦専門企業がほとんどないことが課題と指摘する。
日本はかつて地ウイスキーブームを経験している。国税庁の統計によると、ウイスキー製造免許場の数は1980年代には約80カ所に上っていた(14年度は52カ所)。ただ、当時は原酒を購入しブレンドして販売するだけのケースも多かったのではないかと、土屋氏は話す。今回の地ウイスキーブームは、ベンチャーウイスキーをはじめスコットランド製の本格的な蒸留器を導入するメーカーが目立つのが特徴だという。
スコッチウイスキーを名乗るためには現地で蒸留されたものでなければならないなど詳細な規則が定められているが、ジャパニーズウイスキーについては公的な定義はない。土屋氏は「ジャパニーズウイスキーとは何かということを明確にする必要がある。また、売れているからといって昔の粗製乱造に戻ってはいけない。品質を保ちながら生産を続けていくことが重要だ」と指摘する。
ベンチャーウイスキーの肥土社長は現在は年間10万本の出荷量を、毎年20%ずつ安定して伸ばすことを目標にしている。仕込み回数を増やすなどの方法で増産は行うが、設備投資は予定していない。ブームで生産が増減するのはウイスキーにとって良くないとの考えからだ。「ウイスキーは子供のよう」と語る同社長は、一定の原酒のストックを残しながらウイスキーを飲む喜びを分かち合いたいと言う。
スコットランドでウイスキーの製法を学んだ竹鶴政孝氏が1924年に日本で初めて本格的なウイスキー製造を開始してから90年余り。「寒冷地のスコットランドとは違い、四季のある環境での熟成を繊細な感覚で追求してきた日本人は勤勉さと探究心で、多彩だがスコッチほど荒々しくないフレーバーを表現できるようになった。ジャパニーズウイスキーはピークに達しつつある」と土屋氏は分析する。
そんなジャパニーズウイスキーの歴史に今、地元産大麦の利用という新たな挑戦が刻まれつつある。