日本経済新聞静岡版
2020年5月16日(土曜日)
「オール静岡」で夢醸す
男はグラスの中に自分だけの小説を書くことができる--。
1980年代、米俳優ジェフ・モローが出演したウイスキー「サントリーローヤル」のテレビCMの一幕だ。豊かな自然に囲まれた静岡市の山間地に、ウイスキー生産の夢を熟成させる人がいる。ガイアフロー(静岡市)社長の中村大航さん(51)だ。
2016年に完成した蒸留所でたる詰めした原酒が世界基準の3年に達し、今秋いよいよ出荷を迎える。ウイスキーの魅力を体感するイベントや蒸留所の見学を企画するなど、地域振興も担う。
志向するのは原材料を含めた「オール静岡」のウイスキーだ。ミネラル豊富な安倍川の伏流水を使い、県が開発した「静岡酵母」で発酵させる。昨年には焼津市のJAや農家に頼み、大麦の栽培にも乗り出した。
発酵槽に静岡県産の杉を使うのも「世界初」の特徴だ。日本酒は奈良県の吉野杉を使うことも多いが、ウイスキーはステンレス製が多い。木製は「酵母や乳酸菌がすみやすく味わいが深くなる」と中村さん。蒸留の燃料も地元の間伐材のまきを使うこだわりようだ。
ウイスキーづくりを決意したのは30歳を過ぎ、祖父が始めた清水区の精密部品メーカーを継いだ後のことだ。下請けの仕事が続く中で「他社がまねできず、海外消費者にも売り込める新しい事業を探し続けた」。
転機は12年春。スコッチの本場、スコットランドを妻と旅行し、大学時代から愛飲するウイスキーに蒸留所を見学した。老舗が割拠する中で目を引いたのは旧式設備でもヒット商品を生む創業間もない蒸留所だった。「この規模なら自分もできる」。部品会社は親族に委ね、国内蒸留所の門をたたきながらウイスキー生産に取りかかった。
ガイアフローは販路開拓のため設けた酒類の輸入販売会社だ。知名度もなく経営は厳しかったが、NHKの連続テレビ小説「マッサン」ブームにも救われ軌道に乗せた。今秋発売のウイスキーに欧州、アジアなどから注文が相次ぐのは「輸入販売で培った人脈があってこそ」と目を細める。
ファンづくりや魅力発信にも汗をかく。市内で15年から始めた「静岡クラフトビール&ウイスキーフェア」の入場者は当初の約300人から、19年は3000人に増えた。フェイスブック友達も3000人を超えた。
「ウイスキーは人生と同じ。3年たってどんな味になるかは開けてみないと分からない」
完成にこぎ着けたのは土地探しに手を差し伸べてくれた地元経営者など「静岡の様々な人のおかげ」と振り返る。静岡発ウイスキーは今年静かに時を刻み始める。
ひとこと「新型コロナウイルスの終息に向けて、一生懸命ウイスキーを仕込んでいます」